小説・漫画好きの感想ブログ

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「寄生獣」 岩明均著

 京都から帰って来ました。
 京都御所で紫宸殿だとか清涼殿だとかあれこれ見学させてもらった後に、南禅寺をまわって、少しだけ琵琶湖のほとりを歩いて帰って来ました。途中の、喫茶店で京都新聞を読んで(旅先に行くと旅先の新聞を読みたくなりませんか? 京都新聞はローカルですごく楽しいです)旅情にひたったりして、なかなかいい一日でした。
 ニュース的には、赤福餅に続いて御福餅も賞味期限ごまかしていたとか、次はミスタードーナッツも賞味期限切れのシロップを使っていたという連続技に、どこまでこの連鎖は続くのだろうと呆れ返ったりしていましたが、それも旅先での景色の良さと建造物の面白さでかなりすっきり解消されました。
 やっぱり、たまに旅に出るのはいいですよ。
 そのかわり、今からちょっとお仕事の資料作りをしなきゃいけないんですけれどね。頑張ります。
 
 
 寄生獣」 岩明均
 
 ある日、宇宙から謎の寄生生命体が地球上に人知れず降りてきます。
 いったいそれがどれくらいの数で、どれくらいのものが生き物にとりつけたのかはわかりませんが、彼らはどこからともなく地球にやってきました。
 彼らは寄生生命体で、何かの生き物に取り付かなければ生きていけません。地球に降り立った彼らはその生き物の脳に寄生して、宿主の寄生した部分(よってだいたいは頭部)を自由自在に変形させ、他の生き物を捕食するという習性をもっており、彼らはその最初の夜の地球侵入で多くの地球人にとりつき、寄生します。
 主人公の泉新一もそうして眠っている間に寄生されかけますまが、彼は間一髪それを回避。寄生生命体右腕にに潜り込んだところで、彼はその上腕部を縛って寄生生命体の腕だけで侵入を食い止めました。おかげで中途半端な状態で新一に寄生した生命体は、彼の、文字通り右腕となってしまいます。寄生生命体は、もともとの力だけならその右腕を変形させて宿主を殺す事もできますが、すでに右手と一体化してしまった為に宿主を殺すと自分も死んでしまう為、宿主の新一と共生することを選びます。
 新一も右腕を失うことよりはと共生を選び、寄生生命体にミギーという名前をつけます。
 謎の生命体ミギーは好奇心旺盛で辞書を読み、新一と話す事で知識を得ていきます(右腕に目ができたり口ができたりします)。そして、考察の結果、かなりの数の寄生生物、パラサイトが地球にはやってきていると判断。新一と自分の身を守る為に戦いを始めます。。。

 わりと過激なシーンや、人間が捕食されていくといったことが前提のストーリーの為に受け付けない人も多いようですが、実際の話はある意味哲学的です。人間とは一体なんなのか? どうしてそんなに変わった生き物なのか? といった事が他の知的生命体であるミギーによる問いかけとなって新一に問われます。
 同種の人間同士でえんえんと殺し合いを続ける歴史にも疑問符が出されます。
 また自分たちの生態環境を破壊し続ける環境破壊についても、どうして? と疑問が呈されます。
 新一には、もちろんその答はわかりません。
 寄生生物のほうでも、知能指数の高いものは自分たちが何者かわからず、実験で子供を作ってみたり、市の中枢をそっくり乗っ取ってみたりと自分たちがなにものであるかを問い続けます。もちろん、そうではないものも多数いて、そういう相手とはミギーと新一は死闘を繰り広げる羽目になりますが、それでも内容的にはかなり哲学的な一冊だと自分は思います。表面上はバイオレンスで、カオスなファンタジー。でも中身は哲学的。そういう捉え方でいえば、この『寄生獣』は『デビルマン』(原作の方)とよく似ているかも知れません。
 かなりお勧めな一冊です。

寄生獣(完全版)(1) (アフタヌーンKCDX (1664))

寄生獣(完全版)(1) (アフタヌーンKCDX (1664))