小説・漫画好きの感想ブログ

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終戦記念日

 おはようございます。樽井です。
 どうしてだか全然眠れなくなってしまったので、少しは堅い話も。
 今日はいわずもがなの終戦記念日。お盆というちょうどタイミングのあう年中行事ともあいまって、日本人が過去について自然と考える日です。戦争が終わったのが、1945年といいますから、今年で第二次世界大戦の戦後62年目になったわけですね。もはや戦後ではない、と言われてからでももう十年以上が経つのですからもうずいぶんと昔の話です。僕らの世代はもちろんのことながら戦争の時には生まれてもいなかったし、うちの母親なんかも生まれてないですね。つまりは、現実問題として戦争を知るのは自分たちの祖父や祖母の世代、今の子供たちからしたら、ひいおじいちゃんやひいおばあちゃんの世代ということで、まぁこれはもう歴史的なお話で、かつて日本が戦争をしていたなんていう事自体が嘘みたいな本当にあったことだという実感はもてない世代になっているということです。
 かくいう自分からして、昔の映像とか史料とかでは戦争を知っているし、たまたま戦艦大和に乗っていたという人とお会いしたことはありますけれど、実際の戦争経験者はもはや周りに誰もいません。だから、正直、北朝鮮や韓国、或いは中日がここまで徹底的に日本に対していまだに戦争のことを持ち出すのも、理屈では分かっても皮膚感覚では理解できてません。また、逆に戦後教育の成果だとは思うんですが、僕らの世代にとっては「戦争は絶対的に悪いことだから、大義や理屈の前に絶対的にダメ。日本は永久に戦争しない」というのが理想でもスローガンでもなく当たり前になっています。周りでも、本気で日本が戦争をするなんてことはあり得ないし、どうして世界の国々はそんなあり得ないことでこの国を不安な目で見るのだろう、アメリカが戦争をあれだけするからといって、日本はそこまでは追随しないのは分かるでしょう? というのが感覚です。
 けれど、最近の流れを見ていると、それが常識であったのは昔なのかな、とも思うようになってきました。
 憲法第九条は僕らの世代からすれば当たり前に素晴らしい憲法だと思えました。
 単なる刷り込みだといわれる人もいるだろうし、それはアメリカに押し付けられたものだという人も上の世代にはありました。しかし、僕らの世代はそれが刷り込みだと言われても、それはそれで戦争が絶対悪であり日本は参加しないというのは一つの理想としてそれを無条件に遵守するのは悪いことだとは決して思えなかったし、それは本当に二人前のことでした。けれど、自分たちより下の世代、今25歳より下の世代にとっては、それは絶対ではないし、場合によっては自衛のためだったり、ある程度の武装は常識として有りという方向に動いているのかなというのも感覚としてあります。だから安倍晋三総理のうさんくさいそういう方向性に、違う論点からでもダメだしが出たのは正直ほっとしていたりします。
 あまりにもだらだらしていて、とりとめがなくて、刹那過ぎすぎる若い人たちを見ると、もっと厳しい国であった方が国のためにはいいんだけれどと思うけれど、それと徴兵制や国家統制はまったくリンクしないのが自分たちの世代だと思います。しかし、このあいだの選挙で自民党が様々なトラブルや失言、スキャンダルでぐだぐだにならなくて、そのまま安倍さんが突っ走っていたら、憲法の改正から最低軍備、もしくは最低でも自衛隊の位置づけの変更は、防衛庁の防衛省への昇格を見ても十分あり得た話だったと思います。
 そして、樽井としてはそういう方向にならずに本当によかったと思っています。
 今、僕は仕事で、環境問題に関わる仕事をしています。
 地球温暖化を止めるための、二酸化炭素を始めとする温暖化ガスを削減するための、ガス給湯器からエコキュートへの切り替え工事を中心とした仕事をしています。そして、そういう仕事をしていて思うのは、どんな事があるにせよ、そういう事が仕事として成り立つだけの生活水準や、平和が当たり前である今の日本のほうが、戦時中のそれよりも遥かにいいし、そこまでにもってきた先代たちの努力やがんばりに応えるためにも、絶対に戦争を選択肢の一つとして選べる国にもっていかないのが自分たちの最低限の次の世代へのバトンタッチだと思うのです。そういう意味では、今、戦後初めて日本はそれがちょっと困難になっていると思います。
 変な形でのナショナリズムが出て来ていて、とても不安だったりします。
 確かに、「それはあまりに挑発だろう」という事を北朝鮮をはじめとして日本にふってくる国が未だにあります。けれど、だからといってそれが武力の後ろ盾がないからだという風にもっていく論調に乗ってはいけないと思います。たぶん、日があけたら新聞やラジオでもそのあたりの事はやると思いますが、普通の言葉でそういう事をこれを読んだ誰かに伝えたいと思って長目の文を書きました。